2007年10月20日 (土)

通信41:ホゥ工青葉奨学会代表、本会スタッフと対談

 青葉奨学会(ベトナム、ホーチミン市)のグエン・ドク・ホゥエ代表が、ドンズー日本語学校日本語教員兼留学生事務担当者のグエン・ティ・ヒェツプさんとともに来日した。
 来日を機会に、ベトナム子供基金代表の近藤昇さんや事務局員などが、ホゥエ氏らと対談した。
 対談は9月21日午後、終始和やかな雰囲気で、1時間であった予定をかなり超過して行われた。

  中国北京に立ち寄る

― 長旅ご苦労さまでした。お疲れでしょう。
ホゥエ 今回は初めて中国を経由し、北京を2日間見て、昨日来日しました。社会主義を掲げる国でもベトナムと中国とは違いがあり、興味深かったです。
 中国の民族色の強い社会主義は印象的でした。

  格差、ベトナムでも顕在化

― ベトナムの子どもたちをめぐっては、何が一番大きな問題になっているのですか?
ホゥエ ベトナムは経済成長は順調といわれていますが、日本以上に経済格差が拡大しているかもしれません。グローバリズムにメリットもありますが、私たちは成長に取り残された社会の影に目を注ぐ必要がありますね。

― どこが問題ですか
ホゥエ まず農村でしょう。都市部では近代的な教育インフラが整備されている所もあります。
 ハノイ市やホーチミン市には、欧米と肩を並べるインターナショナルスクールができ、富裕な人々はその利益を受けています。
 一方、農村部では学校に通えない子どもが多数います。
 教育費は原則無料ですが、施設維持費、教育に付随する教科書、通学服や靴など、学校に行く以前にお金がかかります。それは保障されていません。
 WTO加盟後、ベトナムも世界的に激しい競争にさらされています。農村では、従来の農業では現金収入が少なくて生活が困難な人が多数出ています。日雇いや土木工事で日銭を稼げる人はまだ良いほうです。

  増加する?退学者

ホゥエ 正確な統計は今手元にありませんが、退学者が以前より増えていると、ベトナムで噂されています。中部のある省の小学校では900人の在学生のうち、実に100人余りがごく短期間に退学したと新聞が報道しました。
 私も近年の退学者の増加に頭を悩ませています。
 退学は、小学校、中学校、高校のいずれでも増加していると思います。経済的理由による欠席で、退学寸前の児童・生徒もいます。小学校教育さえ受けられないのは、重大な問題です。
 ベトナム人は元来教育を重視する国民です。退学した子どもは、いずれも家庭の重要な労働力として期待されるのです。

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通信41:巻頭言

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(本文と写真とは関係ありません:編集部)

 1968年の秋、私は23歳で、ベトナム中部高原の入り口の小さな町で、ベトナム人青年たちの社会奉仕団の一員に加えてもらっていました。
 奉仕センターにいつも来ていた2人の難民の少女、バイとチャウは一小学校の5、6年生に見えました-いつも年下の子どもたちの世話をし、青年たちを手伝っていました。そこは夜になると迫撃砲や大砲の音が響き、時には耳元で小銃弾の風を切る音が聞こえるような所でした。それでも彼女たちは目を輝かせ、一所懸命に毎日を生きていました。
 翻って今の日本の子どもたちを見ると、私たち自身もそうかもしれませんが、その顔はあの少女たちのようには明るく見えません。
 ベトナムも当時とはもちろん違いますが、子どもたちの手紙を読むと、生きる懸命さが伝わってきて励まされます。
 そういうときは、どちらが支援しているのか分からなくなり、あるべき世界は、国境を越えて、みんなが力を合わせることによって、初めて実現されるのだと感じるのです。     (近藤 昇)

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2007年10月 8日 (月)

通信40:会員総会で留学生がスピーチ

 ベトナム子供基金は5月19日、2007年定期会員総会をアジア文化会館で開催、27人の会員が参加しました。総会では、2006年活動報告・決算報告および会計監査報告、2007年活動計画案・予算案が了承されるとともに、運営委員の選出および承認が行われました(4ページに議事録)。議事終了後、ベトナム人留学生のヴ・クォンさん、ファム・ティ・マイ・フォンさん、ライ・ティ・フーン・ニュンさんが「日本に留学して思うこと」をテーマに次の通りスピーチしました。また、マイ・フォンさんはベトナム民族舞踊を披露してくださいました(編集部)。

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通信40:日本での経験をベトナムに伝えたい

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ヴ・クォン

 私はハノイ(Ha Noi)から参りました。慶応義塾大学博士課程1年で、専門は経済学です。子どもは「国の将来」といわれています。皆さんはベトナムの子どもの教育のために献身してくださり、私はベトナム人として深くお礼申し上げます。
 ベトナムの歴史の中では、日本にあこがれを持って留学するという時期が3回ありました。最初は1905年ごろです。この時代、ベトナムはフランスの植民地でした。当時、日本は明治維新を行い、日露戦争に勝利しましたので、ファン・ボイ・チャウ(Phan Boi Chau)という独立運動家が日本に多くの若者を留学させました。しかし残念ながら、当時の日本の政権はフランスとの関係で、ファン・ボイ・チャウのこのドンズー(東遊=東へ行く)運動を消滅させてしまいした。第2期 の日本留学の潮流は、ベトナム戦争の時代で、戦争による制限もありましたが、ホゥエ先生のような非常に愛国心を持っている若者が日本に留学し、ベトナムに帰って、今のベトナム建設に貢献している、そういう時期です。戦争が終わり、一時的に日本とベトナムの関係が悪化し、留学生の数が減りましたが、ベトナムは1986年以降、ドイモイ(経済の刷新)政策を行い、現在は第3期、私たちの時代です。
 日本は第二次大戦の敗北から立ち上がり、世界の大国になりました。私は日本の経済力に非常にあこがれを持っていました。日本に来て、日本の文化も非常にベトナムに近いものだと実感しました。しかし、大変なことにも遭いました。日本語はとても難しいものです。また、日本はベトナム人にとっては物価がとても高いです。5倍か、10年前には10倍くらいの差がありました。生活と学費のため、アルバイトをしながら勉強しています。
 日本での生活はとてもプレッシャーが強いと思います。私はほかの国の会社でも勤めた経験がありますが、日本では仕事でも勉強でも自分の能力以上の任務を与えるということを強く感じます。でも、日本の皆さんにとても親切にしていただくことも多いです。例えば、私は日本に来て6年目になりますが、最初ホストファミリーになって、いろんなお世話をしてくださった日本のお母さんとお父さんは、季節の果物や、私が経済的に困っていたときには、衣類なども送ってくださいました。今でも精神面で支援してくださいます。
 ここで申し上げたいことは、国と国の間には異なる面もありますけれども、互いに理解し合うことが非常に大切だということです。そして理解し合うためには心が大切です。心があれば違いを乗り越えることができます。皆さんが今やってくださっているのは、奨学金を通じて、皆さんの心をベトナムの子どもたちに伝えているのだと思います。
 私には夢があります。卒業して、ベトナムで学校を作ります。できれば大学を作りたいです。ファン・ボイ・チャウとホゥエ先生は若者を日本に送るという運動をしました。私はそれをベトナムで教える、ベトナムの一般の人々にも伝えられるように努力いたします。
(Vu Cuong)

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通信40:看護師としての責任感

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ファム・ティ・マイ・フォン

 日本に来てちょうど3年になりました。今、千葉県立野田看護専門学校の3年生です。ベトナムで、日本について初めて聞いたのは中学1年生の世界史の授業でした。第二次世界大戦のこと、そしてアジアで最も経済的に工業的に発展している国、桜の花の国、地震がよく起こる国という一般的なイメージでした。1年後、日本の看護と医療について研修するために、3カ月間日本に留学した母からいろいろな話を聞いたことで、日本に興味を持ち、留学しようと深く決心しました。高校卒業後、ハノイ日本語センターで1年半日本語を学習しながら、日本の看護専門学校の受験勉強を必死に頑張った結果、2005年1月、日本に留学することができました。
 看護学校での3年間の生活は非常に有意義なものです。今までマイペースで行動をすることが多かった私は、看護学校に入ってから初めてチームワークに触れました。日本語能力が未熟で、自分の意見をうまく表現できず、グループの友達の言いたいことも素直に受け入れられませんでした。しかし毎日30分から1時間くらい読売新聞を読むという先生方からの特別な宿題、放課後の看護技術の練習でのチームメートとの協力、試験勉強や実習チーム内での役割分担などのおかげで、看護活動におけるチームワークの力と必要性が分かるようになりました。
 生活においても、奨学金のおかげであまり大きな心配をせずに、日本の生活を楽しむ余裕がありましたが、日本語の練習、日本の文化に触れるチャンスを多くするために、セブン-イレブンで1年間アルバイトをしました。仕事上の責任感、時間の厳守、笑顔で元気なあいさつの力など、学校での場面とは異なる体験ができました。
 3年前に初めて電車に乗ったとき、日本人の最初の印象はちょっと冷たくて、他人に対して無関心であるような感じがしましたが、いったん友達になれば、一生の友人になることを実感できました。実習の日の朝に、同じ部屋の先輩が作ってくれる手作りのお弁当、寮の近くのおじいちゃんとおばあちゃんたちからの「気をつけて行ってらっしゃいね」という優しい言葉、患者さんからの「ありがとう」という笑顔。すべて私のこの3年間の励みになりました。
 また、3年間日本で過ごせたことが、私自身にとって大きな自信になりました。どんな人であれ、外国で生活することは大変なストレスを伴うものです。この中で生活することができたということは、これからの自分自身の大きな支えになることを確信すると同時に、一人ではこの留学を成し遂げることは不可能だという当たり前のことも分かりました。これから日本人の仲間と一緒に、3年生の実習、卒論、合格点を取るという大変さとつらさを乗り越えて、就職し、今まで学んだことを生かして頑張りたいと思います。
 私は学校卒業後、看護師として4年間日本で働いて、経験を積んでからベトナムへ帰ります。そして少しでもいいですから、日本で学んだ看護観をベトナムの看護師に伝えたいと思います。ベトナムの医療は、昔と比べたら結構良くなりましたが、入院生活のレベルと看護の質はまだ不十分なところがたくさんあると思います。看護師としての責任感と患者さんへの思いがいっそう深くなれるよう、留学しているほかの友達とともに頑張りたいと思います。
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 先ほどは民族舞踊の紹介をしないまま、踊ってしまいましたので、あらためて紹介いたします。ベトナムの国民衣装はアオザイですが、私が着ているのはアオトゥタンというものです。これはアオザイの前の時代のものです。先ほどの曲は、ハノイから50キロくらい離れたバクニン(Bac Ninh)省の曲です。曲名は「春夏の香り」です。春は花が咲く季節です。昔は1カ月に2、3回しか市場が開かれませんでしたが、特に春の市場はとてもきれいなものでした。そして、普通の市場だけではなく、「恋の市場」でもあり、男女が出会う場所でした。先ほどの曲の特徴は、笑顔とアイコンタクト(視線を合わせること)です。女性の魅力を見せるためには、笑顔とアイコンタクトが一番大切なものだと思います。
(Pham Thi Mai Huong)

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通信40:偶然の導き

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ライ・ティ・フーン・ニュン

 私は一橋大学の修士課程1年です。11年前は青葉奨学会の奨学生でした。お世話になりました。ありがとうございました。そのとき、ベトナム北部のナムディン(Nam Dinh)県の高校生でした。高校1年からの3年間と大学の4年間、青葉奨学金をいただきました。大学を卒業してから、ホゥエ先生に選ばれて、ホーチミン(Ho Chi Minh)市のドンズー日本語学校で日本語を勉強し、ドンズーの留学プログラムに参加しました。2005年にドンズー留学生として日本に来ました。ナムディンの青葉奨学生の数はかなり多いです。青葉奨学金は初めHCM市から始まりましたが、1996年から北部でも支給されるようになりました。私たちは初めての北部の奨学生です。一橋大学に入学してから、ホストファミリーのプログラムに参加して、子供基金の会員の方に出会いました。そして子供基金の話になって、「私は青葉奨学会の奨学生でした」と言ったら、その会員の方はとてもびっくり
されていました。そして今日ここで子供基金の会があることをその方から教えていただき、この会に参加することができました。本当にありがたいです。今後、私にできることがあれば協力したいと思います。
(Lai Thi Phuong Nhung)

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通信40:2007年定期会員総会議事録

期日:2007年5月19日(土)
場所:アジア文化会館会議室
出席:27人
議事要旨:
 議事に先立ち、議長に会員の高橋強氏、書記に運営委員の望月良憲氏を選出した。
1号議案:2006年活動報告
2号議案:2006年決算報告及び会計監査報告
 標記2議案のうち「2006年活動報告」「2006年決算報告」について、飯田事務局長から一括して報告。会計監査報告については、南監査から「会費の支出は妥当で、決算報告も正確に記載されている」と報告があった。両議案について、高橋議長から諮ったところ、全会一致で了承した。
3号議案:2007年活動計画案
4号議案:2007年予算案
 標記2議案について、飯田事務局長から一括して報告があり、高橋議長から諮ったところ、全会一致で了承した。
5号議案:運営委員選出及び承認
 標記について、飯田事務局長から報告があり、高橋議長から諮ったところ、これを全会一致で承認した。運営委員の21人は次のとおり(敬称略、報告順)。任期は2007年6月1日から2009年5月31日まで。
 今井幸恵、小河原理恵、岡村進、小沢玲子、窪寺祐子、近藤昇、土井敏邦、中原和夫、中村伸、原二郎、藤田政弘、本間きく、望月良憲、丸山明美、南康雄、植田泰史、吉原とも子、原聡美、樋川好美、岡村多美子、奥山義夫

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通信40:電子メール送信の際のお願い

 ベトナム子供基金では、会員の皆さまとの連絡などに電子メールを活用しておりますが、子供基金の電子メールには毎週、数百通の迷惑メールが送信されています。そのため、子供基金の活動とは関係ないと想定される内容の電子メールは、自動的に、子供基金のパソコンで受信しない仕組みを導入しております。会員の皆さまからの電子メールを確実に受け取るため、電子メールをお送りくださる場合は、タイトル(subject)に「ベトナム子供基金」と入力いただければ幸いです。ご協力をお願いいたします(事務局)。
・良い例=ベトナム子供基金:問い合わせ
・悪い例=よろしくお願いします

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通信40:精神的なプレゼント

グエン・タィン・フォン

 私は現在、ハノイ師範大学国語科2年の学生です。私はこの手紙をちょうど旧暦の(12月)28日に書いています。あと残り2日で私たち民族全員が待ち望んでいる神聖な祭日であるテト(旧正月)がやってきます。
 本当に、私の心の中には感謝と親愛の気持ちがあり、里親さまとお呼びするのは遠くてよそよそしい感じがします。もしお許しいただけるなら里親さまのことをお父さまと呼ばせていただきたいと思います。
 お父さまの恩義と温情のこもったご関心・ご援助・愛情を受け取らせていただいてこれで5年になります。本当に私は青葉奨学金を受け取らせていただいて光栄です。初めのころ私は、どうして遠い日本の国にいらっしゃる私とまったく面識のない方が、私のような恵まれない境遇の生徒に対して喜んで愛情を注ぎ援助をしてくださるのだろうか、と本当に不思議でした。しかし時間がたって、遠い日本の国にいらっしゃるお父さまの心からの庇護(ひご)とご関心の下で成長してきて、突如分かったのですが、私の疑問に対する答えは、私に対するお父さまの大変尊く素晴らしい愛情と包容力と慈愛の気持ち以外に説明のしようがない、ということです。
 私たちの民族の神聖な新年を迎えるにあたり、私が唯一望んでいることは、自分の正直な気持ちを里親さまと分かち合うために、お父さまの本当に近くに駆け寄りたいということです。私にとってこの新年は今までより何倍も幸福であり、温かく、完璧だと感じています。春の気候や新年の雰囲気のせいかもしれません。
 でも重要で、さらに感動したことは、日本にいつも気にかけてくださり温かい気持ちを持っていてくださって、愛情と限りない共感の温かい光によって私の心を温めてくださるお父さまがいらっしゃると私が認識していることです。これは私一人の想いではなく、恵まれない境遇でありながら勉強したい、知識を吸収して社会のために貢献したい、と願う数多くの生徒たちがお父さまから恩義と温情の奨学金を受け取らせていただいて、やはり同じように感じていることを私は知っています。空間上は離れていても、お父さまの愛情はあらゆる境界を超えて、私の夢に翼を与えてくれ、私の心をさらに豊かにしてくださいました。それはまさに値段をつけられない精神的なプレゼントであり、私に人としての勉強をさせてくださり、人格の形成を学ばせてくださったことを本当に里親さまに感謝しています。
 私はいつも自分の心にこう言い聞かせています。お父さまを裏切らないために、一生懸命勉強しなくてはいけない、能力を身につけ国のために仕事をしなくてはならない。そして、私は一度でいいから自分の国にお父さまをお迎えし、お父さまにお目にかかって一緒にお話したいと願っています。
(Nguyen Thanh Huong)

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通信40:温かく幸福な家庭

ヴォー・キム・クアン

 私はカマウ(Ca Mau)省ウーミン(U Minh)のカィンラム(Khanh Lam)高校12年生です。
 最近お母さまはお元気ですか? きっとお仕事がとてもお忙しいのでしょうね。今までずっと私をご援助くださいましたことをとても感謝しています。そのおかげで私の勉強は大変良くなりました。そしてまた、私の日々の生活で悩み事がなく心が穏やかになり、幸福で平穏な時間を過ごせるようにと、家族やあらゆる方々中でも特に里親さまが願ってくださいました。
 今までずっと私はささやかな願いを持ち続けていたのですが、それはお母さまにお目にかかって一緒にご飯を食べられたらいいな、ということです。そうできたら、私はとても幸せです。なぜだかわかりませんが、私はその瞬間のことを考えると涙を禁じえません。私はお母さまのことをとても大好きで尊敬しているからだと思います。お母さまは私のために毎月お金を捻出(ねんしゅつ)しなくてはならないので一生懸命働いてくださいました。私は、今まで一度もお目にかかったことがなく隣に座って話したことも一度もなく、ただお手紙を通して気持ちを打ち明けてきたお母さまのことを、大変誇りに思っています。
 私はこのことを考えるとき心に誓うことは、自分が一生懸命勉強して良い成績を取らなくてはならない、そのためどんなときでも自分が良い成績を取れるよう丁寧にノートを取り勉強し、勉強方法も研究します。学校では先生方の授業を集中して聞き、家に帰ってからはノートを取りだしよく分からなかった部分を見直したり次の日の予習をします。
 私は経済的に困窮しあらゆるものが欠乏した家庭に生まれ育ちましたが、ほかのみんなより大変幸福で幸運です。なぜならばとても温かく幸福な家庭で生活しているからです。そして遠いところにお住まいの素晴らしい気高いお心のお母さまがいらっしゃいます。私は今まで一度も落胆したり絶望したことはありません。ですから今まで家族そして何よりもお母さまを裏切らないために一生懸命勉強してきました。私はお母さまに心を打ち明けることができることが何よりもうれしいです。
(Vo Kim Quan)

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